2015年10月18日日曜日

2015 称名廊下

称名廊下2015

「日本最後の地理的空白部、称名廊下」、日本一の滝・称名滝(350㍍)の上部に存在するこのゴルジュは、約2㌖に及び、200㍍の両岸に挟まれ悪絶な水路と滝を構成している。2013年、東京の大西良治による単独での計3度、のべ11日間に及ぶ遡行が成功するまで、このゴルジュは日本最後の未踏の地として君臨し続けていた。
 この秋、私とパートナーの藤巻は、この称名廊下を1プッシュ、1度の遡行で突破するつもりで称名の前に立った。廊下内を側壁の登攀に終始するか迷ったが、私たちは極力水線沿いに突破するゴルジュストロングスタイルと呼ばれる方法を選んだ。藤巻は泳ぐのがどうしようもなく好きなのだ。
 入渓前、雨が降り続き、普段は渇水のハンノキ滝は、春を思わせる豪瀑と化している。こんな状態で世界最難のゴルジュに入る。キチガイ沙汰であるが、それぐらいの覚悟を決めないとやれない。あぁだこうだ言い訳していたら生涯この課題を触ることすらままならない。
 一昨年に空荷でトライしたとき、駐車場からF9までをほぼ空荷とはいえ日帰りで往復していたので、初日はF11手前まで行くつもりであった。だがそうは上手くはいかない。増水と7日分の荷が入ったザックのおかげでペースが上がらなかった。
「こんな所で落ちるわけないだろう、ランナーやビレイ点に時間をかけすぎだ」
 と、慎重な登攀を続ける藤巻に苛立ってしまい、一回り以上年上の彼に対してつい口にした。
 逆に藤巻は5センチ飛距離が足りなければ350㍍吹っ飛ぶ称名滝ジャンプや、濡れた側壁をろくにランナーを取らずにサクサク進んでいく僕に恐怖を覚えたらしい。たしかに、出だし9ピッチは2回目なので、落ちないといっても5.95.11台のピッチが連続し、おまけに一昨年と違い壁はぐしゃぐしゃに濡れていて、背中には重量級のザック。増水して濁流と化した水路は落ちればどこでも死ねる。僕は気合が入りすぎておかしなことになっていたのかもしれない。
 かと言って、僕は僕で、出だしから「時間短縮」といって増水した水温5~6度の釜を泳ぎだす藤巻を見て、「頭がおかしい」と思っていた。
 入渓初日は大西河原でビバーク。平な場所など殆どないゴルジュ内にあって、3畳ほどの奇跡的な河原。ゴミと湿った小枝を燃やしてたき火をする。アプローチ用の靴の中敷き、プラティパスの水筒、予備の手袋、予備の防水用の袋、ネオプレーンのリストバンドなど、無くてもよさそうなものは思い切って燃やした。粗食をかじり、わずかな火で暖をとる。かじかんだ足に血流が戻る。
 湿度100%の中でもたき火ができるようになったのは、ここ1年のタイ、ミャンマー、ガダルカナルでのジャングル長期遡行の経験のたまものだろう。おかげでクライミングからは1年遠ざかっていたが……。
 ガダルカナルに行く前は、長期遡行にそなえて体重を76~7キロまで増やしていたが、それから1か月ちょっとで称名にそなえて66キロまで体重を落とした。ガダルカナル帰国後はジムで5~6級のボルダーが登れなかったが、2週間で最終的には1級が登れるまで調節した。時間が無いなりに身体をクライミング仕様にしたつもりだが、急激な体重の増減で体の耐久力が落ちているのを感じた。寒さがきつかった。
 2人で1.3Lもってきていたハードリカーは昨夜、入渓点手前でほぼ飲み干してしまっていて、水で30倍ぐらいに希釈されたブランデーを飲んだ。あこがれ続けた称名のど真ん中で、たき火と酒、沢ヤの本懐だ。
 シェラフに潜り込む。気温は0度近くまで下がる。谷底には水の冷気と滝のしぶきと風、気温よりはるかに寒く感じる。2人とも夏用のペナペナのシェラフにペナペナの防寒着、ほとんど眠ることはできない。
 朝、むちゃくちゃ顔がむくんでいるといわれた。2人ともウォータースポーツ用のドライスーツに身を固め、きついクライミングシューズで攻めたのは良かったが、そのせいで手足がうっ血し、顔がアンパンマンのようにむくんでしまっていた。クライミングシューズを履くのが苦痛だった。
 F10手前で藤巻が水流を渡り、被った壁をネイリングで上がる。一度フォールして水面にたたきつけられる。何十ダースという浮石を落としながらつるべで側壁を登攀していく。
 ボロボロの壁に決めた小さいナッツ一本で水面まで懸垂し、今度は私が水面から垂壁をネイリングで登る。リスが柔らかく、ピンが抜けてフォール。2メートルの高さから藤巻に体当たりする。藤巻が悶絶した。
 幸い、藤巻の怪我はひどくないようだが、自分が焦っているのが分かった。駄目だ、落ち着け。再び慎重に登っていった。
 体感5度の冷水と濡れた壁の登攀が続き、手足は痛み以外の感覚を失っていた。
そんな状態で目の前にF11のラインが見える。攻めたラインで登ろうとするなら、びっしょりと濡れて被った壁をプアなプロテクションでランナウトすることになる。核心はボルダーで1~2級ぐらいになるだろう。気合を入れて取り付いたとしても、成功確率は五分五分。
 ランナウトに耐え、吠え、登る自分を想像する。落ちる自分を想像する。
 落ちてピンが抜ければ水中に落ちる、はたしてこんなボロボロの身体で冷水流の中からユマーリングで脱出できるのだろうか。最悪、流れに飲まれて溺死するかもしれない。
仮にこの1ピッチが成功してもこの先はどうだろう。F11よりさらに厳しいであろうF12~が、黒光りしたいかつい壁をたずさえ、凄まじいプレッシャーを放っている。
残りの日程、食料、天気、体のコンディション……。完全遡行するつもりで入っていた気合いと集中力が切れたのが自分でも分かった。
「あぁ、駄目だ。1度でも弱気になったら、こういうのはもうダメだな。やめよう。ここでビバークして明日、戻ろう」
 湿った外形したテラスに、ハンモックをぶら下げ、ミノムシのように寝た。自然落石がすぐ傍をかすめる。ほとんどお座り状態で吹き曝しの風、寝られない。ハンモックでは小便するのも服を着替えるのも重労働だった。K6の氷壁での雪崩に打たれ続けてのお座りビバークを思い出した。
 戦略が間違っていたのだ。水に触れながら完全遡行できるほど称名は甘くなかった。
 翌朝、足は病気のようにパンパンに浮腫んでいて、完全に靴が履けなくなった。敗退するといってもここから落ち口まで12~3ピッチの悪い側壁登攀をすることになる。リードは藤巻に任せ、クライミングシューズをスリッパ履きにして、フォローに徹する。垂直のクライミングと違って、永遠トラバース、しかも下りになるのでフォローも必死だ。
 F5の横の濡れた窪地でもう1泊ビバーク。翌朝の雨予報におびえながら寝た。
 朝、晴れている。よかった。出口まではもう少しだ。
 細かく記録をとっていなかったが、F11までで約18ピッチ、帰りが約14ピッチ、短く切っていたとはいえ、4日間の登攀で約32ピッチもロープを出したことになる。
 30枚あったハーケンは懸垂支点などで10枚までに減り、50メートル分用意した6ミリロープも懸垂下降の捨て縄などですべて無くなっていた。
 減水して来たときの半分ほどの水量になった称名滝落ち口をジャンプする。350㍍下には称名滝の展望台に多くの観光客が見えた。
 出口となる称名滝の落ち口から大日平へ向けて2ピッチ登る。さっきまですべての衣類を着込んでもガダガタと震えていたのに、たった60㍍谷から離れただけで暑さを感じだし、Tシャツ1枚になった。さらに2ピッチ登り、藪をこいで大日平の草原に飛び出す。上裸になって日差しを楽しみ、濁った水たまりの水を飲んで乾きを癒した。地獄から一転、楽園だ。
 対岸には室堂へ向かうバスが見える。藪をこぎ、登山道を降りると紅葉の滝見の多くの観光客がいた。
「女だ、女。生の女。はぁ~、やりてぇなぁ。あと酒、琥珀色のウィスキーのダブル」
「出ました、ナメちゃん、ほんと外道クライマーだねぇ」

周囲を観光地に囲まれながら、他に類を見ない隔絶された世界を築きあげている称名廊下、日本の宝であると思う。


また来年だな。
舐め太郎(宮城公博)


 
入渓時、連日の雨で増水したハンノキが迫力


藪漕ぎと4ピッチの懸垂で称名滝落ち口へ、夏冬合わせて4度目の光景だ。


増水した称名ジャンプをする藤巻。失敗すれば350㍍吹っ飛ぶ。
思えば僕は6回もこれをやっている。


F10、水中から新ラインで攻める藤巻


左壁が敗退を決意したF11のライン。ダイレクトトラバースは魅惑的だが、これは上から斜め懸垂が正解だろう。


行きは右から、帰りは左から。


大日平の草原、何度来ても天国のようだ。地獄のような称名とのギャップが素晴らしい

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