2015年1月15日木曜日

武器人間


入山して23日目、岩峰の頂上から見渡す景色は地平線までジャングルで覆われている。そんな空間での岩登りというのが、ずいぶんと贅沢なことをしているようで楽しかった。明日からは、ここから見える景色の最奥までジャングルを歩き、そこからまた未知の川を下るのだ。気が遠くなるような距離と日数だったが、焚き火力(たきびりき)が上がってきた僕らの日々の焚き火に淀みはなく、キャンプ場どころか暖炉部屋にいるかぐらいの感覚で過ごせていた。と言うとさすがに大げさで、南国といえど12月の山。朝晩は日本の浅い冬のような寒さがあり、時折、吹く風が木々をかさかさと鳴かすと、ギュッと縮こまることも少なくなかった。

たまに釣れる魚は何よりの楽しみだった。大きなナイフが無かったので、魚を絞めるのに、木の枝で頭を何度も殴打した。殴るたびに魚の目はアジサイの花のようにゆっくりと赤く色づき、なんとも残虐だなぁと思いながらも、口の中を唾液でいっぱいにしていた。串代わりの枝を刺し、軽く塩をまぶして焚き火でじっくりと焼く。全身がこんがりと胡桃色に染まるのを待ち、米に添えてがぶりと齧る。幸せだ。そんな魚も後半になるにつれ、釣れなくなり、40日目をこえると、栄養不足がさすがに足取りにも影響していた。入山時と比べあきらかにげっそりとし、なかでも足の筋肉の萎縮はとくに顕著なものだった。それでも、砂鉄を詰込んだように足が重くと表現するには程遠かったし、たん白質の不足から、アステカの人身御供ように、いざとなればパートナーを食ってやろうかというカニバリズムの発想も生まれなかった。ちょっと食料を持っていき過ぎていたのかもしれない、と思う余裕すらあった。とはいえ、あるのは米だけなので、帰ったらジャーキーとウイスキー、ビールだということを、朝から晩まで考えていた。不思議と女を抱きたいといったようなものはない。空手バカ一代で大山倍達が山篭りをしていたときは、もっとムラムラ、ギラギラ、ギンギンだったような気がするが、もともとの雄度の違いに加え、肉と油から遠ざかった生活がさらなる雄度の低下を招いてしまったのかもしれない。そして他にも、いろいろ、あんなことや、こんなことがあったのだが、旅は終われば、早かったなぁ、なのだ。

明日、いよいよ帰国だ。ここにきて少し体調を崩してしまったが、残された街での日々に変わりはなかった。朝起きて、公園で軽く走り、日向ぼっこをしながら読書をする。それに飽きてくる頃、ネットカフェに行って作業を少し、夕方にになるとスーパーでビールを、屋台でつまみを買って、宿に帰って晩酌をしながら過ごし、自然と眠りにつく。ただ、いつもなら眠る時間に、今日は空港にいなければならない。帰りたくないという訳ではないが、馴染んできた生活から離れるのがどうにも少し、億劫だ。とはいえ、日々を胡桃の殻のような堅牢さを持って生きるには、僕はまったく向いていない。ヤンゴンで築いた日々も、長い旅の思い出も、すぐにうたかたのものとなり、飛行機が離陸する頃には、また、よからぬことで頭がいっぱいになるのだ、ろうな。

ところで、タイトルの「武器人間」であるが、日本出国前にみた最後の映画だ。ナチスのマッドサイエンティストが、人間と機械を組み合わせた兵士を作り、調査に来たソ連兵と戦うといった内容だ。改造人間を作るナチスの科学者といってもやることが非常に雑なのだ。小さな子供が、怪獣の玩具の首とウルトラマンの胴体を挿げ替えて遊ぶように、人間をぶった切ってブリキのガラクタをくっつける。ただ、その武器人間達の手作り感が秀逸で、メカ好き男子にはちょっとキュンとくるルックスをしているのだ。微妙に流行った「ムカデ人間」みたいなものかと思って挑むと、ジャンル映画の奥深さを思い知ることになる。まぁ、武器人間、動き遅すぎ!と突っ込みながら楽しむと宜しい。




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