2015年1月13日火曜日

人だかり


ヤンゴンから自転車で数百km、右往左往しながらも山への道をさかのぼる。道がなくなり、ぬかるんで自転車がこげなくなると、沢タビに履き替え、名もなき山の稜線までの沢登りを楽しんだ。普段、自転車をこぐ旅というものを専門にしている訳ではないし、趣味が自転車でもない。街でたまに乗る自転車はなんの変哲もないママチャリであるし、今回の為に買ったのも中古のママチャリだ。現地人が使っているのと比べれば綺麗に見える程度である。そんな自転車に無関心の僕がなんでこんなことをやったのかと言えば、たぶんちょっと、オシャレをしようと思ったのだろう。ドブロクを飲んでいる人間が、たまにはワインを、というようなちょっとした、そのときだけの心変わりだ。たぶん

街から少し離れると、広大な湿地と田畑が広がっていて、何処までも続くような道路の脇にはポツポツと掘っ立て小屋の売店や食堂があり、トラック運転手やバイクの人間がそこでお茶をしている。なんとなくのイメージで、地平線まで見渡せる道路を、自転車で旅をするというのは、さぞかし気持ちが良いものだろうと思っていた。が、まったくそういう訳でもない。いざ走り出して数十キロもすれば、サドルに食い込む尻の痛みに加え、履いているサンダルのヒモ部分が靴擦れならぬサンダル擦れをおこしだし、加えて荷台に縛り付けた重荷でバランスを崩しまともに走れず、いろいろと不快なのだ。もちろん、ミャンマーの灼熱には心身ともにボロボロにされる。はっきり言って自転車おもしろくないが最初の感想であった。何より嫌だったのが、この国のドライバーは皆、運転が荒いのだ。特にバスやトラックなどは、ボロボロの車体で黒煙を撒き散らしながら、何をそこまでぶっ飛ばす必要があるのかという程にスピードを出す。道も悪く狭いので、こちらがちょっとバランスを崩したところに、後ろから激走してくるトラックに跳ね飛ばされるのではないかと思い、気が気でなかった。

そんなボロボロで始まったミャンマーの自転車旅であるが、人間、適応するもので数日もあればずいぶんと慣れてくる。暑さにはなかなか慣れないが、休憩のタイミングさえしっかりしていれば、一日それなりに楽しく過ごせるようになってきたのだ。朝方の涼しい時間など、チャリ旅もいいなぁなどと言い出すくらいで、数日前にあれだけ悪態ついていたことはもう忘れている。暴走車にも慣れ、車の音や空気の流れで後ろにどんな車があって、自分がどの程度よければいいのかということも分かってくるし、暴走しているように見えて、彼らもそれなりのルールの中で車を走らせているのだなと分かってくると、恐怖心も薄らいだ。

自転車を走らせてから何日目だったか、道端にある人だかりに目がいった。何か催しものでもやっているかと、自転車を止め、カメラを片手に見に行くと、道路脇の畑にトラクターがひっくり返っていた。4つのタイヤは全て天に向かっており、道路からは5~6m離れたところまで飛んでいた。トラクターでいったいどんな走り方したらこうなるのだろうか、不思議に思ってカメラを向けていたが、ふと、人だかりの中心がそのトラクターにあるのではなく、そこから5m程離れたところにあるのに気がついた。視線を移せば倒れている人がいる。頭の周辺に血溜まりを作り、カッと見開いた目からは血が垂れ流れ、鼻や口、耳、穴という穴から血を流していた。動く様子は微塵も感じられない、一目で分かる死体だ。それを取り巻く人たちは、何をするでもなくただずっと死体を見つめていた。ゾッとした。同時に、カメラを片手にしたのん気な外人である自分が、同胞の死を前にした現地人からすれば、気に食わないであろうことを認識し、怖くなってそっとその場を立ち去った。

釣崎清隆という死体を専門に扱う写真家がいるが、その日の晩、彼の作品を思い出していた。死体と人だかり、それを取り巻く空気の重さと色というようなものには、どんな場所でも何処か共通するものがあるように思ったのだ。そして不遜にも、写真、撮っておけばよかったなぁ、と思った。

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