風邪をひいてすこぶる体調が悪かったが、パソコンを開いてANITUBEでワンパンマンを見ながら、晩酌し、痛飲した。そして気絶するように眠った。これは十年以上続けてきた日課だ。おかげで、死神に鎌で背中を裂かれ魂が凍りつくような悪夢を見て、その悪夢に叩き起こされたが、これも日課なので慣れている。いつもであれば、そのまま布団の中で夢と現実を行き来しながら3~4時間過ごすのだが、この日は仕事なので布団から這い出た。シャワーを浴びて、くたびれ色あせ穴の空いたライペンのザックを押し入れから取りし、そこに二日間かけて作った1万5千字の台本とノートパソコンを詰め込んだ。それを背負い、最寄りのJR駅に向かった。この日はモンベル本社に冒険塾の講師として呼ばれていたのだ。
駅の窓口で、乗り換えに余裕がある発車時刻の新幹線の切符を買い、電車にゆらゆらと揺られ……、うっ、ゲロが喉元まで這い上がり、ぐっとこらえてそれを飲み込んだ。目の前にいた女の子がすっと離れていく。俺が吐く息には、揮発したアルコールが混じっていた。
名古屋駅につくと東京方面の新幹線のホームへと歩いた。名古屋駅の新幹線のホームではいつもきしめんを食べている。だから乗り換えの時間には余裕を持たせているのだ。いつものように立ち食いきしめん屋の自動販売機の前にたった。しばし悩んだが、さすがに気分が悪すぎたので食うのをやめることにした。ペットボトルの水をガブガブと飲み、缶コーヒーを買って飲んだ。
切符を見て14号車が停車する場所まで歩いた。ベンチに座ってザックから台本を取り出し、それを見直しながら新幹線が来るのを待った。そろそろかな? と思い電光掲示板を見ると、「東京行き」とある。違和感を感じ、切符をもう一度見てみると「新大阪」……。
俺は大阪方面ホームへと、団体客を振り切りかき分けながら全力疾走をした。そしてギリギリ間に合った。油の汗が、背中と脇に膨大な量で染み出ていた。のぞみに乗れば新横浜まで止まらない。危うく俺は、モンベルの辰野会長に2時間尺を延ばして喋ってもらうか、グレートジャーニーの関野吉晴氏に早入りしてもらうか、新横浜のネットカフェの個室からスカイプで講演をするというウルトラCをやらなければならないところだった。危ない。
会場のモンベル本社につくと、広報部のオフィスで写真を見直しながら、小声で台本を読み直した。時間がくる――
「続いての講師、宮城公博さんをご紹介します……」
壇上にたつ俺の横には、青い顔をしたモンベル広報部のスタッフが三人、慌ただしくパソコンをなぶっている。俺が持ってきUSBメモリーが、モンベルのセキュリティーに弾かれ読み込めなかったからだ。さらに、俺のパソコンと会場に用意されたプロジェクターを繋ぐケーブルもない……。写真と動画ありきのスライドショーを考えていたのだ。台本だって写真に合わせて作ってきている。このまま写真が見せられないとなると、俺はこれからの1時間を「お喋り」のみで乗り切らねばならない。
絶体絶命のピンチに陥っていた。この日の為に貴重な休日を裂いてくれたお客さんの視線がドスドスと突き刺ささる。俺は全身を縛られ樽の中に閉じ込められた後ひと刺しで昇天する黒ひげ危機一髪になっていた。助けを求めて司会の女の子の方を見ると、女の子は冷徹な視線を私に向けていて、それはトドメとばかりに俺の心臓に突き刺さった。
そのとき、風邪と二日酔で朝霧の靄がかかっていた俺の脳内が、完璧な白、「無」になった……、それからのことは、記憶にない。
幼少期に虐待を受けた子供が、トラウマから立ち直るために自らの記憶を消去するように、俺の脳も、俺が明日からも前向きに生きて行けるように、あの凄まじい辱め、公開凌辱の記憶を消したのだ。
記憶はないが、おそらく俺はあの会場で、お客さん全員からの冷ややかな視線をうけ、失笑を買ったのだろう。司会の女子からは「ちっ、せっかくチャンスやって呼んでやったのによぉ、台無しにしやがって」という、背中が凍り付くような視線による暴行をうけたのだ。視線で暴力を振るう彼女のその眼光の悪絶さは、まるで称名廊下の水のように私の体力と体温を奪い……。
と、いうほどまでは俺の頭は真っ白になっていなかったが、ひどくショックをうけ、記憶が曖昧なのは本当である。何を喋っていたのか俺が分からないのだから、お客さんはもっと分からない。そして、司会をやっていた女の子は「ちっ」とかは言わない、いい人だ。
と、いうわけで、「何があるか分からない、こういうことがあるのが冒険」という、中学生が考えたようなプリミティブなオチ。皆さま、勘弁して下さい。
そして夜、広報部と痛飲し、ネットカフェで寝た。悪夢? 見たよ。
モンベル冒険塾講師 宮城公博
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