ガ島(ガダルカナル島)に3週間滞在した。ガ島の沢を継続して北から南へ、海から海へと15日間かけて横断した。単独だ。
ガ島の沢は集水面積からは考えられない程に水量が多い。これで乾季だというから驚きだ。いったい雨季にはどれだけの水量になっているのだろうか。乾季といっても、山の中ではほぼ連日のスコールに見舞われた。夕方だけザっと降るという訳ではなく、日によっては朝から朝まで降り続く。しとしと降り続けていたかと思えば、ときに猛烈な雨に襲われる。熱帯なので寒さを感じなかったのがせめてもの救いだが、テント内はプールになり、あらゆるものが濡れて不快だった。何より気分が沈む。晴れると一転して気持ちがいい。鬱蒼としたジャングルが続くが、ところどころ木々の隙間から日が差し込む場所があり、日光浴を楽しんだ。本流の大渓谷は最大で川幅が60メートルに及ぶところもあり、そのような場所では全裸になって釣りやボルダーをひとり楽しんだ。
グーグルの地形図や航空写真を見た限り、ガ島には台湾のような大ゴルジュや巨瀑は無いが、濃緑や黄緑、ときにエメラルドパープルの苔に覆われた美しいゴルジュや、50~60メートルクラスの大滝が散見された。
思ったより害虫にも悩まされることも無かった。帝国陸軍が散々悩まされたマラリアを警戒して、蜂屋が使うような網かぶりを初日だけしていたが、不快なので2日目からは外した。たぶん、日本の夏の方が蚊は多い。タイのジャングルで見舞われた獰猛なアリもいなかったし、南国特有のトゲトゲの植物も少なく、藪漕ぎにもそこまで苦労はしなかった。雨がもう少し少なければ本当に快適な沢旅だったと思う。
遡行中、たき火をしていると、帝国陸軍の亡霊が繁みに見えた。毎日見えた。たぶん、映画「シンデットライン」の映像がフラッシュバックしていたのだろうが、盛大に火を焚いて慰霊した。豪雨の日も、気合を入れて火をつけた。
横断後、島南部の部族の集落に飛び出し、3日ほど現地の人の世話になった。海沿いにある集落には文明とは無縁の昔ながらの生活をしている人たちがいるだろうと思い、楽しみにしていた。
思った通り、集落の人たちは半裸に裸足、女も年寄りは胸をさらけ出していた。高床式の小屋に住み、ほとんど自給自足の生活を送っていた。だが、古いスマホは持っていて、ゴリゴリのテクノを聞いている人もいるし、ボブマーリーが好きでスピーカーで爆音を鳴らし、髪型まで真似ている奴もいた。今時、どんな辺境にいっても、今時なのである。
ガ島は徳島県程の面積に10万人ほどの人口を抱えているが、そのほとんどは北部にある首都ホニアラに集中している。南部の海岸線には十数人から数百人規模の集落が点々としているだけだ。集落には道路も空路も無く、ときおり採れた果物や煙草、ビダンナッツという噛みタバコのような課物を小型のボートで首都ホニアラまで出荷して米を買っている。
山から降りて最初にあった奴がかなり面白かった。村はずれに住んでいて、顔や体に傷、ニットをふかく被っていかにもブラザーな見た目をしている。
「ヘイ!ブラザー!どこから来たんだ!?」
「北の街から12日かけて山を横断してきた」
「ヘイ!そいつはお疲れだな。ここは俺の畑だ。まぁ休んで行けよ」
畑には大麻が植えられている。コカもあったかもしれない。
「俺はこいつを売って、銃を買うんだ。それからやることは分かるだろう?ヘイ!ブラザー、泳ぎ疲れているだろう。お前もスモークしてレストするかい?」
牧歌的な沢旅のあとに、ずいぶんまずい場所に出てしまったかと思ったが、そこから先の集落の人たちはまともだった。子供たちと遊び、村の若者とココナッツクライミングを楽しみ、現地の強烈なタバコを吸い、女たちにはちょっとモテた。
ただ、私が期待していた僻地特有のフリーセックス&ドラッグで、長老が「外部の種が欲しいんだ、ジャングルマン!うちの娘にいっちょ種付けしてくれないか?」ということは無かった。「セックスしてーなー!」と大声で叫びながら遡行していたので、そこはちょっと無念である。
首都ホニアラに戻ると、100人からの人に囲まれ、写真を撮られた。中国系の商売人は多々見られるので黄色人種が珍しいということはない。いったい何事かと思ったが、聞けば山を横断した変な日本人がいるということで噂が広まり、私は有名人になっていたらしい。
なるほど、あの集落の人はTwitterをやっていたのかもしれない。
なめたろう(宮城公博)
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