2015年3月19日木曜日

韓国エステと登山の融合


もう7~8年前になるが、馬場部長と春の立山をハイキングしたあと、富山の駅前で韓国エステを探した。当然、ヌキがあるエステだ。韓国エステというのは、表向きは普通のマッサージ店として店を構えているので、ヌキが有るのか、マッサージだけなのかが店舗の外観だけでは判別がつきにくい。馬場に「どうやって見分けをつけるのか」と質問したら、「においで分かる」という有難い言葉が返ってきた。彼らしい返答だったと思う。そんな達人の風格さえ感じさせる馬場にも、間違いを起こすことはあった。ある日、普通のマッサージ店に入ってしまった馬場が、受付嬢にこう聞いた。
「ヌキはあるのか?」「えっ、なんのことですか?」「ヌキだ」と、手をシコシコと上下にさせたところ、受付嬢にキッと睨まれ、すごすごと店を出てきた。弘法も筆の誤りということだが、そういう冒険性の高さも韓国エステの魅力のひとつなのかもしれない。

韓国エステは1995年あたりから登場しだし、全国に爆発的に広まっていった。ヘルスやピンサロは風営法によって出店地域に制約を受けるので特定の場所にしか出店できないが、韓国エステは表向きはただのエステ店なので風営法による地域的制約をうけない。つまり、何処にでも出店可能という訳だ。家賃が高く他の風俗店と競合する駅前や繁華街に無理をして出店する必要もなく、住宅街の真ん中に堂々と店を構えられる。駅前の風俗店に入るところを見られたくない人や、繁華街までの距離が遠い人にとってニーズが合致し、爆発的に店舗が増えたのだ。ただ、他の風俗店と競合することがないということは、競争原理が働かず、嬢のレベルやサービスの質もピンキリということになる。

馬場は2002年~2010年の間、名古屋近郊の韓国エステに異常な頻度で通っていた。名古屋は人口当たりの風俗店舗が他都市と比べても頭抜けて多く、多様な風俗店に溢れている。そんな場所に住んでいるというのに、馬場はどうして韓国エステだけに執拗に通うのか、疑問に思って理由を尋ねてみた。その回答は、常人の理解の範疇をこえるものだった。
「若い子なんて滅多にいない。大概、50代のおばさんがでてくる」「酷く太った女性がでてくることもよくある」「真冬に暖房のない部屋で、布切れ1枚被せただけの金属製のベッドに全裸で1時間。冬山よりきついぞ」等、質が悪いという話しか出てこないのだ。「いいとこはないの?」と聞けば、首をかしげてしばらく黙り、「ない」と答えた。

韓国エステの値段が安いかと言われれば、60分1万円でマッサージ+ハンドサービスで、+1万円で本番といったところが相場らしい。これは他業種と比べて決して安いとは言えない。ただヌクだけだったらピンサロで6000円を払えばいいし、当時の名古屋にはビデオパブというものが流行していて、3000円払えば若くて可愛い女の子が手コキでヌイてくれた。本番がしたいのであれば2万円も払えば大衆ソープに行けるし、デリヘルを呼んで余分に払えば本番も可能だろう。韓国エステ最大の売りであるマッサージだって、嬢たちは訓練を受けた本職のマッサージ師という訳でもないので、その質は高いものとは言えない。しかも、当時の韓国エステにはHPどころか、嬢の予約やパネル指名といったシステムも無い店が多く、どんな人が出てくるか分からない。
風俗とは、男子の欲望を叶える場であり、好みの女子と限定された時間と空間の中で心地のよい射精をする場所のはずだが、行ってみなければ何が出てくるのか分からないというのでは、冒険性が高過ぎる。外れの場合は金銭を払って苦しみに耐えることになるのだ。1~2万円も払って、50代の太ったおばさんが出てきて、しかも気温0度で全裸になってタワシで背中をこすられる。これで勃起できるのだろうか。そんな当たり前の疑問を並べた私に対し、馬場はこう言った。
「どんな過酷な環境でも、醜いおばさんが出てきても、最後までやるのが礼儀だ」
衝撃を受け、クラクラし、自分を恥じた。安くない金銭を払い、肉体的精神的な苦痛に耐えながらも、韓国エステに通い続ける馬場の姿は、生涯に渡って苦しい修行をつむ求道者のようで、神々しいものさえ感じた。この衝撃が韓国エステと登山の融合を試みるきっかけとなり、馬場と共に韓国エステティッククライミングを模索していくことになったのだ。韓国エステとの融合というのは、辛い思いをしてでも必ずやり遂げるという精神の問題ではなく、文字通り物理的な融合を果たしたいといもので、抽象的な芸術表現にはしたくなかった。当時の未熟な私には明確な回答は思いつかなかったが、いつか必ずやってやる。そういう強い思いがあった。
しかし、そんな求道者・馬場に変化が起きた。2010年あたりから韓国エステへ通う頻度が下がり、2012年にはイメクラや日本人嬢のリラクゼーションサロンに通い出した。さらに、ネットで好みの嬢を検索し予約までするようになったのだ。私はショックを受け、馬場を問い詰めた。
「どうしたんですか、あのストイックな馬場さんは何処にいったのですか。デリヘルとかイメクラとかチャラ過ぎるでしょ」馬場はこう答えた。
「いや、普通に若くて可愛い女の子にヌイてもらうほうがいいわ、こんないい店が他にあるって知らなかった」

違法な売春行為が行われる韓国エステは摘発の対象となる。摘発とデリヘルブームが重なる2005年をピークに、韓国エステは減少を続けている。性サービス嬢は出張エステや韓国デリヘルに流れ、店舗型の韓国エステは街から姿を消していった。

しかし、韓国エステが滅亡した訳ではない。かつてほどの繁栄はないが、しぶとく営業を続けている店舗は、日本にはまだ多く残されている。今は、それらを拾い集め、体感し、共有することが私に課せられた使命であると思っている。

韓国エステは眠らない

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