2ヶ月半ぶりにヤンゴンに舞い戻ってきた。先回は10月に1ヶ月程を過ごさせてもらったが、なにせ暑かった。お日様の下に出たとたん、焼けた釜のような熱気にやられ全身から水分を搾り取られシナチクのようになった、と言うといくらなんでも大げさだが、滝のような汗が頭から水をかけられたように衣類を湿らせ、体臭がカーニバルを始める頃には、軽い熱中症にやられて見事な廃人が出来上がるといった具合であった。それに比べ、今はビルの谷間から心地よい風が流れ、昼下がりのこの時間まで朝から公園でジョギングをし、日光浴しながら読書をするといった、普段の僕を知る人なら鼻で笑うような実に似つかわしくないハイソな旅行者のような真似ができる程に、居心地がいい。
昨日まで過ごしていた初のバンコクでは、その都会ぶりに驚かされた。パッと切り抜けば日本の都会かと見間違うような光景が広がっており、少なくともオラが住んでいる近所には無いレベルの高いビルが林立していて、田舎者たる僕はそれだけであっけにとられた。そもそも、それまで持っていた東南アジア感というものが、ネパールのカトマンズにあったので、そのギャップに驚いたのだ。ゴミの臭いと香のかおりが入り混じり、クラクションはパンパカと鳴りやまず、胡散臭いおっさんが5分おきに「マリワナ?」などと声をかけてくるのが東南アジアだと勝手に思っていたのだ。その感覚はずいぶんと古いものだったようだ。
その点、このヤンゴンには未だいかにも東南アジア的なイメージが残っている。隙間無く立ち並ぶ雑居ビルの前には露店が広げられ、屋台と香の匂いが入り混じったこの景色がどこか懐かしく心地いい。もちろん路上にはゴミも野良犬も豊富だ。この野良犬というのが随分と色艶がよく、誰か洗っているのかというぐらいぱっと見は綺麗であるし、路地狭しと屋台が立ち並んでいるので、餌が豊潤なのだろう、皆、なかなかいい身体をしているのだ。実家で飼っている犬より立派である。
ところで、なんでヤンゴンとバンコクを行き来しているかというと、別にパッカー(バックパッカーの略だそうな)になった訳ではなく、例のごとく沢登りである。横文字で書くとSAWANOBORIだ。WASABI、HENTAIに次いで、海外でそのまま使える日本単語の筆頭である(但し、ごく一部に限る)
先回のミャンマーでは、海から川をたどって源流までという沢登りをやろうと思いたったのだが、近年、民主化されたとはいえ、なんだかんだと未だ軍事国家の特色を色濃く残しているこの国は、何をするにも簡単にはいかない。当然、あきらかに怪しい外人が現地人も行かないようなところに行くのは、なかなか厳しかった。結局、当初、描いていたことはできなかったが、それでもちょっと足掻いてコンパクトな自転車と沢の旅をやってきた。また、タイでは45日間に及ぶ沢登りをしてきた。45日と簡単に書いたが、小屋を利用するトレッキングなどは別にして、自分で全てを背負って道なき道を行く登山となると、冬の黒部横断や台湾の沢登りなどの2週間程度が最長の経験であった。今回は食料にクライミング用具、ロープ、衣類にテント、荷物は40kgを軽く超える。それなりに山慣れした人間にとって40kg~50kgという重さは道を歩くだけなら問題ない負荷なのだが、沢登りとなると勝手が違ってくる。濁流で足元の見えず、捻挫しないよう次に足を置く場所を手探りならぬ足探りで着実に歩かなければならないし、ときにはヌメヌメの岩を飛んだり、進路を阻むイバラをさける為に匍匐前進することにもなった。その疲労は想像を絶し、10分ほど行動しては荷を降ろして休み息を整え、「こんなこと45日も続けるのか」と絶望したものである。昔、朝帰りが通常運転なブラック企業に入社し「こんなこと一生も続けるのか」と絶望したとき以来の絶望であった。
この沢登りの詳しい内容は割愛するが、ハイライトのひとつに大蛇殺しがあった。入山して35日を過ぎた頃、5mを超えるぐらいの大蛇が岩の上で昼寝しており、こいつを殺して食おうと、しばし追いかけっこをしたのだ。投石ではどうにもなりそうになかったので、竹やりを即席でこさえ、一人が竹やりで蛇の胴体を押さえ、もう一人、つまり僕が尻尾を押さえノコギリで胴体をゴリゴリと真っ二つに切った。動きの遅い蛇であったが、力はすさまじく、巻きつかれたり噛まれたりすればこちらも死なないまでも大怪我を負うことになるが、2対1と武器の優位により、食う側にならせてもらった。
しかし、普段、剛の者ぶっている自分が意外と殺生に向いていないことに気づかされた一件でもあった。手製の竹やりでは硬い蛇の鱗には歯が立たないし、他に武器も無いのでしょうがないのだが、生きている動物をノコギリでゴリゴリとやるのはいささか気が引けたのが正直だ。にもかかわらず野生という奴の強靭さを甘くみたおかげで、より残虐な結果を作ってしまった。ちょん切ってこれは殺したと思い、油断したところを蛇に逃げられたのだ。尻尾から身体を1m以上も切断されて、内臓出ちゃってる状態なのに、竹槍の押さえ込みを逃れ、内蔵を引きずりながら川に逃げ込んでしまったのだ。いくら野生といえどあの状態ではどう考えても助からないので、彼は苦しんで死ぬことになる。錆びてなかなか切れないノコギリで生きたままゴリゴリぶった切った上に、トドメを刺さずに逃がすという、我ながらぐう蓄な所業をしてしまったと反省する限りだ。ぐう蓄とはぐうの音も出ないほどの畜生の略である。ちなみに切断時、暴れる蛇を抑えながら全力でギコギコするも、肉や皮がノコギリにまとわりついて背骨がなかなか切れない。返り血と汗を混じらせながら刃を前後させ、思っていたことは、人を切断するときもこんな感じなのだろうかだった。
43日目、脱出用に作った手製の筏は44日目の夜には、沢の藻屑と焚き火の薪となった。
昨日まで過ごしていた初のバンコクでは、その都会ぶりに驚かされた。パッと切り抜けば日本の都会かと見間違うような光景が広がっており、少なくともオラが住んでいる近所には無いレベルの高いビルが林立していて、田舎者たる僕はそれだけであっけにとられた。そもそも、それまで持っていた東南アジア感というものが、ネパールのカトマンズにあったので、そのギャップに驚いたのだ。ゴミの臭いと香のかおりが入り混じり、クラクションはパンパカと鳴りやまず、胡散臭いおっさんが5分おきに「マリワナ?」などと声をかけてくるのが東南アジアだと勝手に思っていたのだ。その感覚はずいぶんと古いものだったようだ。
その点、このヤンゴンには未だいかにも東南アジア的なイメージが残っている。隙間無く立ち並ぶ雑居ビルの前には露店が広げられ、屋台と香の匂いが入り混じったこの景色がどこか懐かしく心地いい。もちろん路上にはゴミも野良犬も豊富だ。この野良犬というのが随分と色艶がよく、誰か洗っているのかというぐらいぱっと見は綺麗であるし、路地狭しと屋台が立ち並んでいるので、餌が豊潤なのだろう、皆、なかなかいい身体をしているのだ。実家で飼っている犬より立派である。
ところで、なんでヤンゴンとバンコクを行き来しているかというと、別にパッカー(バックパッカーの略だそうな)になった訳ではなく、例のごとく沢登りである。横文字で書くとSAWANOBORIだ。WASABI、HENTAIに次いで、海外でそのまま使える日本単語の筆頭である(但し、ごく一部に限る)
先回のミャンマーでは、海から川をたどって源流までという沢登りをやろうと思いたったのだが、近年、民主化されたとはいえ、なんだかんだと未だ軍事国家の特色を色濃く残しているこの国は、何をするにも簡単にはいかない。当然、あきらかに怪しい外人が現地人も行かないようなところに行くのは、なかなか厳しかった。結局、当初、描いていたことはできなかったが、それでもちょっと足掻いてコンパクトな自転車と沢の旅をやってきた。また、タイでは45日間に及ぶ沢登りをしてきた。45日と簡単に書いたが、小屋を利用するトレッキングなどは別にして、自分で全てを背負って道なき道を行く登山となると、冬の黒部横断や台湾の沢登りなどの2週間程度が最長の経験であった。今回は食料にクライミング用具、ロープ、衣類にテント、荷物は40kgを軽く超える。それなりに山慣れした人間にとって40kg~50kgという重さは道を歩くだけなら問題ない負荷なのだが、沢登りとなると勝手が違ってくる。濁流で足元の見えず、捻挫しないよう次に足を置く場所を手探りならぬ足探りで着実に歩かなければならないし、ときにはヌメヌメの岩を飛んだり、進路を阻むイバラをさける為に匍匐前進することにもなった。その疲労は想像を絶し、10分ほど行動しては荷を降ろして休み息を整え、「こんなこと45日も続けるのか」と絶望したものである。昔、朝帰りが通常運転なブラック企業に入社し「こんなこと一生も続けるのか」と絶望したとき以来の絶望であった。
この沢登りの詳しい内容は割愛するが、ハイライトのひとつに大蛇殺しがあった。入山して35日を過ぎた頃、5mを超えるぐらいの大蛇が岩の上で昼寝しており、こいつを殺して食おうと、しばし追いかけっこをしたのだ。投石ではどうにもなりそうになかったので、竹やりを即席でこさえ、一人が竹やりで蛇の胴体を押さえ、もう一人、つまり僕が尻尾を押さえノコギリで胴体をゴリゴリと真っ二つに切った。動きの遅い蛇であったが、力はすさまじく、巻きつかれたり噛まれたりすればこちらも死なないまでも大怪我を負うことになるが、2対1と武器の優位により、食う側にならせてもらった。
しかし、普段、剛の者ぶっている自分が意外と殺生に向いていないことに気づかされた一件でもあった。手製の竹やりでは硬い蛇の鱗には歯が立たないし、他に武器も無いのでしょうがないのだが、生きている動物をノコギリでゴリゴリとやるのはいささか気が引けたのが正直だ。にもかかわらず野生という奴の強靭さを甘くみたおかげで、より残虐な結果を作ってしまった。ちょん切ってこれは殺したと思い、油断したところを蛇に逃げられたのだ。尻尾から身体を1m以上も切断されて、内臓出ちゃってる状態なのに、竹槍の押さえ込みを逃れ、内蔵を引きずりながら川に逃げ込んでしまったのだ。いくら野生といえどあの状態ではどう考えても助からないので、彼は苦しんで死ぬことになる。錆びてなかなか切れないノコギリで生きたままゴリゴリぶった切った上に、トドメを刺さずに逃がすという、我ながらぐう蓄な所業をしてしまったと反省する限りだ。ぐう蓄とはぐうの音も出ないほどの畜生の略である。ちなみに切断時、暴れる蛇を抑えながら全力でギコギコするも、肉や皮がノコギリにまとわりついて背骨がなかなか切れない。返り血と汗を混じらせながら刃を前後させ、思っていたことは、人を切断するときもこんな感じなのだろうかだった。
43日目、脱出用に作った手製の筏は44日目の夜には、沢の藻屑と焚き火の薪となった。
宮城公博
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