2015年6月1日月曜日

奥美濃と女

日本列島が太平洋に向かって大きく弧を描くそのほぼ中心、弓ならば握りの部分にあたるのが奥美濃である。こうでも書きださないと、位置概念さえ摑んでいただけないところに奥美濃のすべてが尽きている。それもまた当然である。何もない。高岳もなければ名瀑もない。もちろん温泉もない。秘境という程でもない。知られていないのも当然である。したがってもう少し補足するならば、北は白山から南西を俯瞰するとき、南は伊吹山から北東を展望するとき、見はるかす彼方まで重畳として緑の山なみが続いている。それが奥美濃である。(中略)登山道はない。山小屋、指導標の類も一つもない。ただあるのは本物の藪と谷だけである。(24P 三訂 奥美濃 ヤブ山登山のすすめ 高木泰夫


 2015年の1月某日、奥美濃の明神山にある明神洞、その右岸のリッジを2泊3日の予定で登りにいった。雪稜だ。
パートナーは女子、それも人妻だ。僕のテントは1~2人用の古いテントでかなり小さい。シングルベッドの2/3ぐらいの面積しかない。そんな空間で年頃の男と女が酒を呑んで密着して2泊。これはただ事ではない。
 ただ事ではないが、山の世界ではよくある話でもある。どうも、山では男女が密着していても何事もないらしいのだ。夫婦や恋人でもないのに男女で登山をしている人に会うたびに、「意識する?」「なんかあるんじゃねぇの?」と聞いているが、返答はだいたい一緒だ。

「山では性別は関係ないよ。意識しないね。男同士と同じ感覚」

本当だろうか。男女が密着して寝泊まりし、岩を登り、雪をかきわけ、艱難辛苦を共にするのである。男の技量・経験が上の場合、女子的には「頼れる男性」になり惚れる要素が発生するだろうし、男としては女子に頼られれば気分がいい。本当に男女を意識しないのだろうか。

明神洞は奥美濃の黒部と呼ばれている。“洞”というのは奥美濃地方の“切れ込んだ沢”を意味している。と思っている(調べた訳ではない)。奥美濃の黒部といっても、本物の黒部に比べたら1/100くらいのスケールしかないし、遡行者は皆無に等しい。ネットで調べて出てきた記録は2件だ。冬の記録など、当然ない。記録がないと分かると、冬の明神洞の景色が見たくなるのは沢ヤの性だ。加えて、男女で密着しても大丈夫なのか?という疑問も解消せねばならない。

(中略)

・テントで、僕が「ションポリとか気にする?」と聞くと、この女子はションポリ(小便用のポリタンク)を知らなかった。これは少し気を遣う必要があるなと思った。

・雨で1日停滞した。本降りの雨がテントを叩き、会話もままならない程のときもあった。尿意をもよおした僕だが、狭いテント内でションポリにじょぼじょぼするのは婦人に対して礼を欠くと思った。とはいえ、テントの外に出てずぶ濡れになってまで小便をする気概はない。あいだをとって、テントの入り口から半身を出し、立小便をした。すると女子から、「今まで一緒に登山してきた人が、いかに紳士達かということが分かった」と返された。そもそも、雪山で雨が降るのが分かっているのに、テントかついで雪稜などしないらしい。

・酒飲んで密着して寝てるとき、俺は少し彼女のことを意識してしまった。でも思ったほどではない。ムラムラして勃起などはしていない。下山後、電話で女子にそのことを聞いたら「意識?そんなの全くない」だった。

・テント内で女子から「舐め太郎さんにおススメの面白い本がある」と、「奥美濃――ヤブ山登山のすすめ――/高木泰夫」を紹介された。本の話で盛り上がり、帰って買おうと思った。


で、下山して2日後、著作者の高木先生の訃報を知った。僕はアマゾンで本書をポチっと押し、一気読みし、感慨にふけった。


 ちなみに、明神洞は凄かった。たしかに黒部だ。周辺のたおやかな山容のヤブ山の中にあって、明神洞周辺だけが異様に切れ込んでいる。リッジもやたら細い。同じ奥美濃の稜線上にある昨年登った夜叉壁、後日登った冠山南壁と共に、なだらかな山域にあって、何故か一カ所だけ岩々しいのが興味を引く。しかも、全てチャート質の岩だ。かつてここは海の底で、今僕がアックスを引っ掛けている岩は生き物だったんだなぁ、と思うと感慨深いものがある。



もっと奥美濃のヤブを漕がなきゃな。

2015年5月7日木曜日

身延線と女

 無職の私にはGWとか関係ないのだが、3日間、焚火とゴルジュをしてきた。

 朝4時に起きて慌ただしく支度をし、JRの春日井駅から中央本線に乗り込み、長野の小淵沢を目指した。小淵沢に住む39歳の女子と沢登りの約束をしたのだ。
中津川で乗り換えると、そこから塩尻までの区間はワンマン列車になり、木曽川沿いの静かな列車の旅となる。特急しなの待ちや、すれ違い列車待ちで列車はたびたび駅に10分程停車した。近くに60代半ばぐらいのおっさんが二人座っていた。おっさん達は日帰りザックと山用ストックを持っていてトレッキングシューズを履いている。どうも彼らは列車でたまたま出会った2人のようだが、中山道歩きで意気投合し、極めて大きな声で峠がどうのこうのという話を繰り返していた。
 私の対面には90歳ぐらいのしわくちゃのババァが座っていて、私のボロボロで巨大なザックを見て「何処の山に登るの?」と声をかけられた。「福士川ゴルジュに沢登りに行きます」と答えたところで通じないだろうから、富士山の近くの山へハイキングへ行きますと答えておいた。
 私はこう見えて、ババァと話すのは嫌いではないので、最初は会話を楽しんでいたが、列車のあまりに遅い進行速度と、度重なる停車に膀胱がかなり膨れ上がっていた。小便がしたかった。
 そこらへんのトレッキング客に紛れて列車を降りて小便をすることも可能だが、ババァに山梨まで行くと言った手前、途中で降りるのは「あ、この小僧小便の為に降りるのだ」と思われてしまうのも癪だし、1時間に1本とか、時間帯によっては2時間待ちをするこの列車から降りてしまうと、約束の時間に大きく遅れてしまう。ババァの会話を適当に流し、隣のジジィのでかい声での東海道話にイライラしながら、塩尻までの長時間を我慢していた。
 塩尻に着くと、急いでトイレに駆け込み、放尿し、小淵沢行きの列車に飛び乗った。
 小淵沢駅から降りると、39歳の女子が待っていた。この39歳の女子とは昨夏、山関係の仕事で知り合い、先日も偶然、山関係の仕事で出会った。仕事の合間に沢登りのことを話していたら、「行きたい、連れて行って」という話になったので、今回のゴルジュ焚き火を実行することになった。「今度、下界の職場に遊びに行く」とか「山から降りたら一緒に沢登りに行こう」などというのは、リップサービスというか、社交辞令的な会話であって、実際には実行に移されないということが普通かと思うが、私は行くと言った以上7割ぐらいは実行するタイプであって、山から降りたらすぐに連絡をし、約束したのだ。時間あるし。

 39歳女子と合流した後、彼女の家に行って沢登りの準備をした。計画時に彼女に対し、事前にハーネス、つまりクライミングで使う安全帯を持っているかと尋ねたところ、持っているということだった。だから、彼女が沢登り未経験だということは分かっていたが、クライミングに関しては数回やったことがあるものだと思っていた。クライミングの最低限の知識、懸垂下降とかビレイ(ロープ操作)に関しては知っているものだと思っていた。
 しかし現場でいざ彼女のハーネスを見てみると新品だったのである。しかも、ハーネスにはカラビナがついておらず、ハーネス単体しか持っていないのだ。普通、ハーネスにはビレイ器というロープを操作する為の特殊な道具や、カラビナやスリングといった最低限必要な道具を付けているものだが、彼女はそれを持っていなかった。カラビナというクライミングをしない人でも知っている単語の理解度すら危ういレベルである。にもかかわらず、ハーネス単体だけを持って、ドヤ顔をしているのだ。この39歳女子は初心者というより、ハーネス持っているだけの素人だった。
 クライミングも沢登りも初心者だということは知っていたが、ここまで素人だったとは……。とはいえ、まぁ、なんとかなるだろうと思い、予定通り目的の福士川ゴルジュに行くことにした。




 福士川ゴルジュは、簡単でお気楽だが、初心者向けというには難しい部類に入る。過去の記録もほとんどなく、ネットで調べてもここ10年の遡行記録は出てこなかった。ただ、隣に遊歩道や林道があることから、ゴルジュ突破が駄目でも、なんとかなるだろうと思ってセレクトしたのだ。基本的には焚火をしながら酒を飲み、ゴルジュってこういうもんなんや、ということを知って頂ければ幸いなイベントだったのだ。

 ゴルジュに向かう途中、立ち寄った山梨で小屋作りに勤しむ友人の家でうだうだ立ち話をしてしまい、入渓が午後4時と遅れた。入渓点の釣堀の駐車場の親父からは、「この川は険しくてすっごい岩やねんで!遭難騒ぎとか勘弁してくれ」と言われたので、「ワイはこの道10年以上で、この業界では有名なすげぇ奴なんやで!」と自ら説明して、ロープやハーケンやらをジャラジャラと見せびらかし、「平気ですわ!」ということをアピールした。ちょっと恥ずかしいが、僻地のゴルジュを遡行する場合、こういうアピールをやっておかなかった為に、下の集落のおっさんに遭難したと思われて警察に通報されることは、たまにある。僕はそれでヘリまで飛ばされそうになった過去があり、敏感なのだ。

 初日はゴルジュ手前の河原で、ツェルトをタープ替りに張り、雨の中焚火をし、盛大に飲んだ。いきなり雨の中でタープ一丁で泊まるのは、女子にはハードかと思ったが、39歳女子はそれなりに楽しんでくれたらしい。

 2日目にゴルジュに突入した。たおやかな田舎な里山にあって、思った以上にハードゴルジュであった。そもそも5月の頭にゴルジュを泳いで突破するなど、僕でもほとんどやったことはない。水は多いし、冷たいし、本気で泳ぐ必要もあり、けっこう痺れた。でも、素人である39歳女子は、沢登りとはこういうもんだと思ったらしく、楽しんでいたようだ。「若いころに出会っていたら、絶対に沢にのめり込んでいた」と、有難い言葉も頂いた。沢ヤとしては嬉しい。

 なんやかんやと、いろいろ時間がかかり、最初のゴルジュを突破したところで、焚火をし昼寝をし、もう残りのゴルジュは面倒くさいから、一回、遊歩道で戻って酒を買い足し、飲みながら焚火をしようということになった。ちなみに、充てにしていた遊歩道は、土砂崩れでいたるところが崩壊しており、懸垂下降まで有し、ゴルジュ本体より不確定要素が高く、「やべぇ、こんなところで女怪我させたら洒落にならんわ」と、かなり緊張した。

 入渓点に戻り、集落の商店(謎の書類の下に商品が置いてある凄い店)で酒を買いたし、再び沢に入った。2日目の晩は雨は降らないだろうから、ツェルトとかテントとかチャラいものを使わず、オープンビバークで寝ようという話になった。
 たまたま39歳の女子が持って来ていたシェラフがモンベルで、僕もモンベルのペナペナのシェラフを持って来ていた。モンベルのシェラフは、2つのシェラフを連結して一つにでき、それで二人で一つのシェラフに寝れるようになっている。
 39歳女子が「連結シェラフで、男子と2人で寝るのが夢だったの」と言い出したので、連結したシェラフで2人で寝た。僕としても連結シェラフで女子と二人で焚火の側で寝るのは夢であったのでそれに応じた。もっと若い女子が良かったと思ってはいたが。
 僕が初めて連結シェラフで寝たのは、名古屋のモンベルでの店頭だった。35才の主婦と、カラコルム遠征前に連結シェラフの具合を確かめたいと無理やり付き合ってもらったのだ。二度目はカラコルム・パキスタンチャラクサ氷河でのクライミングでの本番だった。今井犬歯と中島けんろうという、今を時めくスーパークライマー達と魂のこもった登攀をし、氷壁にぶら下がるように男3人でひとつのシェラフで抱き合いながら寝た。
 3度目、このようなタイミングで、彼女でもなんでもない女子と、プライベートのゆるい山行で一緒に1シェラフで寝ることになるとは・・・・・・。人生とはよく分からんものである。
 浴びるように酒を飲み、2人で重なるように眠った。朝起きると、10メートル先に釣師のおっさんの釣竿の先端が見えた。ちょっと恥ずかしかった。

 ちなみに、重なるように眠ったと言っても、今回そこで卑猥な行為は行われていないし、これをきっかけに恋に発展ということもない、と思う。これは誓って言うので、関係者はこの件で後から僕をからかうようなことはしないように。頼むから。(じゃあ書くなよって話だが)

 沢を後にし、身延線に乗り込み、富士を眺めた。今年の富士山は雪解けが早い。数か月後、富士の仕事でまた39歳女子と会い、御来光のコーヒーを御馳走になるのだろうな。


 インサマー!今年もゴルジュの季節がやってきた!



身延線から東海道を、途中下車しながらぶらぶら帰ったが、なにわのエリカ様こと上西議員のような化粧の女が結構多いなぁと思った。



2015年5月3日日曜日

タコ部屋

タコ部屋労働
  1. タコ部屋労働(タコべやろうどう)とは、主に戦前の北海道で、労働者をかなりの期間身体的に拘束して行われた非人間的環境下における過酷な肉体労働である。 タコ部屋労働で使役された労働者をタコと呼び、タコを監禁した部屋タコ部屋(ないしは監獄部屋)と呼ぶ。 タコ部屋タコ部屋労働環境そのものを意味することもあった。 類似した状況は九州の炭田地帯にも見られ、納屋制度と呼ばれていた。(wiki)
 2週間ほど4畳一間におっさん4人で寝泊まりという集団労働をしてきた。とはいえ、あくまで短期の期間労働であって、タコ部屋と言える程の過酷さはない。飯も美味かったし、酒もたらふく飲んだ。おまけに飲み過ぎかつ山談義が熱くなりすぎて、「山っていうのはなぁ、うんぬん(中略)殺すぞ!!コラ!」と大先輩である超有名クライマーの胸倉をつかんで暴れていたらしい。
 その件のあと、なんとなくなのだが、普段はできない体験がしたくなって自分の仕事以外のことを手伝うようになった。12時まで飲んでいても朝5時には起きて厨房の手伝いをしたのだ。
 そんな僕の姿を見た同部屋のおっさんから、「どうしたんですか?舐め太郎さん。”殺すぞ事件”から人が変わったように働いていますね」と言われたので、「おいおい、それじゃ俺が反省して頑張ってるみたいじゃねーか!」と啖呵を切ると、「舐め太郎さん、今時アウトローキャラは流行らないですよ」と突っ込まれた。ちょっと照れた。
 僕は普段ライターを名乗っているが、基本的にはただの無職ゆえ、このような労働にちょこちょこ携わらせてもらいながら、生きていく為の糧を得ている。

 昨年は日本で一番酸素の薄い場所にある6畳一間に、むさくるしいガテン系親父12人という構成で寝泊まり労働をしていた。100キロぐらいの鉄板を右から左に運んだり、巨岩を大ハンマーで砕いて、その岩を右から左に運搬していた。そのときの飯は酷いものだった。インスタントラーメンを食べるにも、高所で水の沸点が低く時間もない故、50~60度ぐらいと、なんとなく暖かくなった湯をラーメンに注ぎ、ガリガリと齧った。このとき、「許せる温度の湯」というワードが生まれたのだが、ラーメンを作るのにはどう考えても許せない温度なのだ。胃が気持ち悪くなり、食えない者もいた。ラーメンが食えなくなったら、ガビガビのパンを食うしかない。

 そんな一見するとシベリアの強制労働を思わせる過酷な肉体労働も、不思議なもので短期であれば非日常的な初期衝動の感動によって楽しい行為として乗り切れる。粗末な飯を齧り、風呂にも入れず夜明けから夜更けまで働きながら、「どっちが重い石を運べるか競争だ」とか男子特有の競争が働き熱くなるのだ。「最低の労働環境だわ、二度とこんなことやるか!」と、自虐的なネタをゲラゲラ笑いながら楽しむ余裕もある。

 これが一生となるとそうはいかない。大手の印刷会社にいた頃は、家から会社に通っていたにも関わらず、一日30時間はザラに働いていたので、あの頃の方がタコ部屋感があった。2徹3徹も、今だけの労働だと思えば耐えられるが、これが一生続くのかと想像したときに絶望を覚えるのである。そう考えると、今の私はずいぶんと幸せな環境で生きていて、充実しているのだ。

 充実といえば、昨夜、友人の結婚パーティーに参加した。新郎新婦がDJを勤めるオシャンティーなBARで、スパークリングワイン片手に幸せを祝ったのだ。32年生きているが、人様の結婚を祝いにいくのは2回目である。
 そこで、友人みんなが結婚して幸せであるのに気づいた。「いいなぁ、どうしたらモテるの?結婚できるの?幸せな人生を築けるの?」と、ルサンチマン溢れる質問をしてみたところ、「舐めさん、実際のところモテるでしょ?」「あなたの人生は普通の人は羨みますよ」「嫌味に聞こえるから、そろそろそのネタできないですね」とdisられてしまった。確かに、その通りなのかもしれない。
 今この時代、サラリーマンをするより、酸素の薄い場所で鉄板や巨岩を運びながら労働するということの方が難しいし、ましてやアジアのジャングルを46日間もさ迷ったり、国内外の未踏の岩壁に挑戦しまくるっていうのは羨ましい話のはずだ。
 だからといってモテてはいないけどな。


追伸。ある人からアドバイスを貰って、今日から”沢ヤの・舐め太郎”と、”舐め太郎”に苗字を付けることになった。
 ここ数週間、新しい出会いが多くあり、舐め太郎の名前の由来を聞かれることが多々あった。その都度、舐め太郎の名前の由来を説明した。僕が舐め太郎を名乗り始めたのは12年前になる。そのときは”ドアノブ舐め太郎”と名乗っていた。これは検索されても重複しないワードということで名付けたのもだ。卑猥で胡散臭い僕のイメージとしての”舐め太郎”に、まず舐めないであろう物体である”ドアノブ”を付け足したのだ。系統としてはアントニオ猪木とか、マサ斎藤とか、プロレス的なネーミングだ。年月がたち、いつしかドアノブは省略され、ここ5年ぐらいは舐め太郎で通していた。

2012年に「ドアノブ少女」という、美少女がドアノブを舐めている写真集が発売されたのだが、僕のドアノブ舐め太郎が元ネタなんじゃないかと思い、少しだけ悔しい思いをしている。



沢ヤの舐め太郎

2015年4月16日木曜日

女3

「大人になったら女のことが分かるようになるって思っていたけど、いざ30代の半ばを過ぎても、女の人のことってぜんぜん分からないんです。なんかそう考えると怖いですよね。私は結婚をしていて、本心では共感のできない女と10数年一緒に住み、今では10歳になる娘もいます。でもその娘でさえ、最近は女の世界が始まっているんですよ。娘は男である私を女の世界に入らせてくれないんです。拒否するんですよ。それが、凄く寂しく、怖いんです」

「結局のところ、男は女に対して共感できないんじゃないかな。いくら”愛”とか言っても、本当のところは分かり合えない。種類が違いすぎるんだよ。男と女より、男と犬の方がまだ分かり合える。何匹かの犬を飼い、何人もの女と付き合ってきたのでそう感じるよ。これは生物としての宿命なんじゃないかな。ところで、この子が最近気になるんだよね。渕上彩夏ちゃんっていうグラドルなんだけどさ。笑顔がいいんだよ。顔の好みだけで言うと僕のストライクではないんだけど、なんとなく誰かに似ているんだよね。それが誰だか分からないんだけど、僕の心を掴むんだよ」


「私のイメージなんですが、あなたのの元カノさんに似ていませんか? 昔からあなたはひとつのヴィジョンを探し続けてる感じがあるのではと思っていました。 スティーブンキングは子供の頃、友人が目の前で電車に轢かれて死んだのを目の前で見ていたはずなのですが、記憶に無いそうです。でも、さまざまな映画で子供が轢かれるような描写が描いているんですよ。 あなたにも、そういったペットセメタリーがあるのではと、推察しています」

「そうかな?元カノに似ているだけなら、左の音市美音ちゃんや、右の藤沢マリちゃんの方が似ているよ。二人ともAV女優なんだけどさ、彼女たちの作品を見ると、喪失感や儚い嫉妬心が生まれ、それが性欲に転嫁されて何処となくヌけるんだ。上にあげた渕上ちゃんは、過去の女性の誰とも似ていないんだけど……、でも表情やしぐさはたしかに似ているかもしれない。そういうものがフックとなって、僕に引っ掛かっているのかもね」


「例えば僕が、中学生の頃に宮沢賢治を好きだったとしたら、口説ける文学少女がいて中学で童貞を卒業できたかもしれない。でも実際には僕は北斗のケンやグラップラー刃牙が好きだったし、女とセックスするのはワルの特権だったんだ。これで性交渉の機会を逃してしまったんだよね。二度目の人生があるなら同じ轍は踏まないけど、一度目で宮沢賢治で共感するなんて無理な話だ。だからね、今は村上春樹にドッキリを仕掛けたいんだよ。やれやれとか言ってセックスしている村上春樹もね、朝起きてホテルの窓を開けたときにゴジラがガオーって現れたら、やれやれとか言えないと思うんだよ。日本は国家プロジェクトとして200兆円ぐらいかかっても実物大の動くゴジラを作って、村上春樹にドッキリを仕掛けるべきだと思うんだ。爽快だろ?」

「それって村上春樹への嫉妬ですよね。村上春樹のように、美人というだけではない味と個性のある女とセックスできないという。あなたって、けっこうセックスはしているじゃないですか。でも、ビッチだったり薄っぺらいメンヘル女だったり。そこに劣等感を感じているのですよね?」

「もういい、おれ、宝くじ買うわ。100回連続で当てて、ゴジラ作るから!作るからーーーーっっ!!!」



庵野&樋口の東宝ゴジラへの期待を込めて……。
あ、俺は懐古主義者ではないので、ハリウッドのギャレスGODZILLAにも期待してますよ。
できれば、GODZILLAvsパシフィックリムとか、宇宙人が攻めてきて地球防衛軍が壊滅して、オワタ―ってところに
GODZILLAが出てきて、宇宙人をぶっ倒すようなカタルシス満載映画が好きです。

2015年4月10日金曜日

奇譚

 
 少し前の話だが、京都で講演をさせてもらった。京都までの新幹線で、村上春樹の「東京奇譚集」(H17,新潮社)という文庫本を読んでいた。5つの短編から成る小説だ。「奇譚」というのはgoo辞書によると「珍しい話。不思議な物語」だそうだ。タイトルの通り、5つの短編はそれぞれちょっとした偶然とか、珍しいことをテーマに書かれている。その中のひとつ、「日々移動する腎臓のかたちをした石」を読み終えたあと、僕の身にもちょっと不思議なことが起こった。小説のあらすじはこんな感じだ。


 男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない」 31歳の小説家・淳平は、知人のフレンチ・レストランの開店パーティーで、キリエという不思議な女性と出会う。「私の仕事はなんだと思う?」というキリエに、淳平は想像力を働かせたが、当てることはできなかった。淳平は新たな短編小説を書き始め、2人で小説の話をした。キリエはそれを喜んだ。淳平の小説が完成したとき、キリエは姿を消した。淳平は喪失感につつまれ、キリエが本当に意味のある女のうちの2人目であったのではないかと考える。淳平は小説は新聞広告に乗ることで、キリエが連絡してくるのではないかとおもったが、連絡はなかった。いくらか月日がたったあと、淳平は、乗っていたタクシーのラジオから流れるキリエの声を聞いた。ラジオの先でインタビューを受けているキリエは、窓ふき屋を営み、高層ビルで綱渡りをしていた。



 "高い場所に出ると、そこにいるのはただ私と風だけです。他には何もありません”(キリエ、p17)

 "風と彼女とのあいだには、誰も入ることができないのだと彼は悟った。そこで彼が感じたのは、激しい嫉妬の感情だった。でもいったい何に嫉妬をしているのだろう? 風に? いったい誰が風に嫉妬を覚えたりするのだろう?p177~178


 淳平の激しい嫉妬の矛先はどこなのだろうか。それは風でもなく、風とキリエとの孤高の関係でもない。ここには淳平の同じ表現者としての嫉妬がみえる。淳平は自分の短編小説が新聞広告に載ったことで、キリエが戻ってくるのではないかと期待していた。しかし、いつまで待ってもキリエからの連絡はなく、キリエが現れたのはラジオの先で、キリエは淳平の及ばない世界にいた。
 淳平はキリエの職業を、「デザイナー」や「建築家」といった聡明で洒落たキリエにいかにも当てはまりそうなものだと推測していた。それまでに書かれてきたキリエという女性像はそれであり、ブランコ師という仕事は、淳平にとっても読者にとっても、想像の外にあったものではないだろうか。そしてキリエは、高層ビルの谷間で綱渡りをし、普通では共感が及ばないほどの気高い思想に生きていた。
 「風と彼女とのあいだには、誰も入ることができないのだと彼は悟った」と三人称で書かれているが、これは淳平の嘘なのではないだろうか。これは淳平が、淳平と淳平の小説のあいだにキリエが帰ってくる程の作品を作ることができなかったことへの言い訳だったのだ。
 淳平の激しい嫉妬とは、想像の及ばないところにいたキリエへの嫉妬と、キリエを自分の作品で嫉妬させられなかったことへの怒りなのだ。
 
と、いうような感想を持ったあたりで、新幹線が京都駅に止まった。新幹線から降りて、駅構内をオロオロしながらバスの発着所を探し、見つけて、バスが来るのを3分ぐらい待ってたところで音楽作家をしている友人からのメールに気付いた。

「高校時代の同級生で、めちゃ普通だった女の子が、ブランコで有名になってていて、ビビりました」

 ブランコで有名ということが、ブランコ師としてなのか、体操的なブランコなのかよく分からなかったが、このタイミングで凄い偶然だと思った。これぞ、まさに奇譚じゃないか。スマートフォンを指でなぞり、メールに添えられたURLを押し、動画を見た。
 画面には、「ブランコ」ではなく「フラメンコ」を踊っている女性が映っていた。メールをよく読み返すと、フラメンコとちゃんと書いてある。小説と混同して読み間違えていたのだ。ちなみに、ブランコ師という表現は小説内では使われておらず、窓ふきのアルバイトとしか表現されていない。本を読み進めているうちに、頭の中で窓ふきがブランコ師に変換され、その状態で友人からのフラメンコのメールを読み、間違え、驚いてしまったのだ。 
 その音楽作家の友人に電話をし、フラメンコ女性の同級生に嫉妬したかを聞いた。「そりゃちょっとは嫉妬しますねぇ」ということだった。僕は「やっぱそうだよね、俺もそう」と共感し、男ってどうしようもねぇなぁ。と、思ったのであった。
 これ、読み間違いを抜きにしても、ちょっとは不思議じゃない?


 ところでそんな音楽作家をしている友人と、また久々にセクシー登山部の新作動画を作ろうということになった。こんどは短編映画を予定している。きっちりとストーリーのある話を作るとなると、中学1年生のときにVHSカメラで撮った「ビッグフットvsターミネーター」以来になる。いろいろ忙しいが、楽しみだ。
 

なめたろう



・次の「ババ泣き」に向けて、前の「ババ泣き」を復習しましょう。
 2013年セクシー登山部「ANIMALPLANET」







・以下、セクシー登山部や舐め太郎とは一切、関係ないですよ。ということを予め断ったうえで、友人で音楽作家の荒木氏が関わっているイベントの告知です。これまた、オシャンティーな動画です。






Published on 6 Apr 2015
個性派バンド・レミ街が住んでる街=名古屋と一緒に作る初の公共企画。

Video by 新美良太郎

『 the Dance we do 』
レミ街ファンタスティック・コンサート
2015年4月18日(土)中村文化小劇場
【出演】
レミ街
中村区の中学生コーラス隊
ダンススタジオAMS

チケット受付 16時15分
開場 16時30分/開演 17時00分(18時30分終了予定)


レミ街 × 中村区中学生合唱隊 × AMS「the Dance we do」2015.04.18@中村文化小劇場


2015年3月21日土曜日

女2



標高2000メートルに20キロの大ゴルジュを形成する台湾・マホラシ渓谷、登山人生の中でも屈指の難渓だった。写真は、凍えながら急流を泳ぎ、滝の裏側に回り込んだのち、アブミという縄梯子をつけたハンマーを投げ、岩に引っ掛けたハンマーをたよりに空中に浮かんだ縄梯子を忍者のごとく登り、滑った岩の僅かな突起を頼りに尋常ならざる水圧に耐えながら滝の表側に回り込み、ジョジョ2部での波紋修行で、人体を切断するような高圧の油の吹き出る塔を、プラスとマイナスの波紋を駆使しながらよじ登るシーザーのような登攀をしている舐め太郎だ。

それはさておき、女性の性欲に関することで、重大な事実が見つかった。35歳のある女性から衝撃の報告があったのだ。
「オナニー?そりゃしてますよ。頻度と言われても困るけど、やるときは毎日もするし、やらないときは一月しないこともある。女性の何割がやってるかですって?95パーセントはやってるんじゃないですか。女性同士でそういう話はあまりしないし、確証はないけど・・・」
北欧の歌姫こと性欲チャンピオンのビョークだけが、ビタミン剤と間違えて媚薬を飲んでいる訳ではなく、女性とは本来、性欲の塊だというのだ。女は男と違ってムラムラなどしないという、A氏による女性の清廉は根源説は儚くも打ち砕かれた。

疑問に思った私は、30代の3人の知人独身女性に「オナニーしてる?頻度はどれくらい?男を性的に求めたくなることある?」という、いま読み返しても変質者としか思えない質問をメールで送った。セカンド童貞状態の私にとって、数少ない女性の知人を失うリスクのあるこの行為は、死を覚悟したマホラシ渓谷への挑戦よりも覚悟が必要だった。

1通だけ、返信があった。
「うーん、ひとりではしないですね。性的に相手を求めたくなるのも年に1~2回かな」
3戦全敗を覚悟していただけに、この返答は嬉しかった。こいつ、ひょっとして口説けばやれるんじゃないかと思い、勃起をしてしまった程だ。ただ、私の期待していた返答は「毎日やってますよ~。男を作ると面倒だから今はいないけど、ムラムラするし、そしたらオナニーしますよ。どうやるかまでは答えないけどね!」であり、内容の信憑性に疑問をもった。

結局のところ、この手のアンケートというのは信憑性が著しく低い。週刊誌によくある初体験はいつですか?というアンケートで、男性の方が女性より初体験が早いということがあるが、男と女のセックスへのハードルの高さを考えれば“んなわけねーだろ!”と思うのが男子全員の共通認識かと思う。実際、私が高校生の頃、あきらかに童貞なのに性豪のようにふるまう男子がいかに多かったことか……。
 女性からしてみても、性に奔放というのは淑徳の観念から言いづらいものかと思う。性欲チャンピオンのビョークや、AV女優、性産業に関わる女性にとってはそれがプラスに機能するかもしれないが、いささか変わってきたとはいえ、キリスト教的な清廉思想が根強く支配する現代社会において、「私はヤリマンで、毎日オナニーします」と答える女性は少ないだろう。

この答えを正しく見つける為には、独裁者となって性に対する倫理観を根本から変え、性をさらけ出せるようにしていくか、求道者のごとくヤリチンになり、多種多様な女とセックスし、結婚離婚を繰り返し、女性の本性を暴くしかないのではないかという結論に落ち着いた。

私に対し、なんでそんな苦しい思いをして登山しているのですか?と問われれば、有名になってモテモテになり、ヤリチンになって、いっぱいセックスをして、女のオナニーについて本音で聞きたい。と、いうことになる。

ただし、それには問題があった。いくら凄い山を登ったとしても、モテるのは明朗快活なただしイケメンに限り、山だけじゃ女にモテないということが薄々分かってきてしまったのだ。今更引き返せないので、意地を張ってまだ山を続けているが、このモチベーションがいつまで続くか分からず、エグザエル的に日焼けサロンに通った方がいいのではないかという葛藤に飲み込まれそうになっている。

行動の動機とは、皆が期待する清潔なものではなく、概ね、性欲と自己顕示欲からなる。





20歳の頃に、“女のオナニー48手”を出版社に持ち込み、企画が進んだ直後に出版社が倒産しお蔵入りになった経験がある舐目太郎より。

2015年3月19日木曜日

韓国エステと登山の融合


もう7~8年前になるが、馬場部長と春の立山をハイキングしたあと、富山の駅前で韓国エステを探した。当然、ヌキがあるエステだ。韓国エステというのは、表向きは普通のマッサージ店として店を構えているので、ヌキが有るのか、マッサージだけなのかが店舗の外観だけでは判別がつきにくい。馬場に「どうやって見分けをつけるのか」と質問したら、「においで分かる」という有難い言葉が返ってきた。彼らしい返答だったと思う。そんな達人の風格さえ感じさせる馬場にも、間違いを起こすことはあった。ある日、普通のマッサージ店に入ってしまった馬場が、受付嬢にこう聞いた。
「ヌキはあるのか?」「えっ、なんのことですか?」「ヌキだ」と、手をシコシコと上下にさせたところ、受付嬢にキッと睨まれ、すごすごと店を出てきた。弘法も筆の誤りということだが、そういう冒険性の高さも韓国エステの魅力のひとつなのかもしれない。

韓国エステは1995年あたりから登場しだし、全国に爆発的に広まっていった。ヘルスやピンサロは風営法によって出店地域に制約を受けるので特定の場所にしか出店できないが、韓国エステは表向きはただのエステ店なので風営法による地域的制約をうけない。つまり、何処にでも出店可能という訳だ。家賃が高く他の風俗店と競合する駅前や繁華街に無理をして出店する必要もなく、住宅街の真ん中に堂々と店を構えられる。駅前の風俗店に入るところを見られたくない人や、繁華街までの距離が遠い人にとってニーズが合致し、爆発的に店舗が増えたのだ。ただ、他の風俗店と競合することがないということは、競争原理が働かず、嬢のレベルやサービスの質もピンキリということになる。

馬場は2002年~2010年の間、名古屋近郊の韓国エステに異常な頻度で通っていた。名古屋は人口当たりの風俗店舗が他都市と比べても頭抜けて多く、多様な風俗店に溢れている。そんな場所に住んでいるというのに、馬場はどうして韓国エステだけに執拗に通うのか、疑問に思って理由を尋ねてみた。その回答は、常人の理解の範疇をこえるものだった。
「若い子なんて滅多にいない。大概、50代のおばさんがでてくる」「酷く太った女性がでてくることもよくある」「真冬に暖房のない部屋で、布切れ1枚被せただけの金属製のベッドに全裸で1時間。冬山よりきついぞ」等、質が悪いという話しか出てこないのだ。「いいとこはないの?」と聞けば、首をかしげてしばらく黙り、「ない」と答えた。

韓国エステの値段が安いかと言われれば、60分1万円でマッサージ+ハンドサービスで、+1万円で本番といったところが相場らしい。これは他業種と比べて決して安いとは言えない。ただヌクだけだったらピンサロで6000円を払えばいいし、当時の名古屋にはビデオパブというものが流行していて、3000円払えば若くて可愛い女の子が手コキでヌイてくれた。本番がしたいのであれば2万円も払えば大衆ソープに行けるし、デリヘルを呼んで余分に払えば本番も可能だろう。韓国エステ最大の売りであるマッサージだって、嬢たちは訓練を受けた本職のマッサージ師という訳でもないので、その質は高いものとは言えない。しかも、当時の韓国エステにはHPどころか、嬢の予約やパネル指名といったシステムも無い店が多く、どんな人が出てくるか分からない。
風俗とは、男子の欲望を叶える場であり、好みの女子と限定された時間と空間の中で心地のよい射精をする場所のはずだが、行ってみなければ何が出てくるのか分からないというのでは、冒険性が高過ぎる。外れの場合は金銭を払って苦しみに耐えることになるのだ。1~2万円も払って、50代の太ったおばさんが出てきて、しかも気温0度で全裸になってタワシで背中をこすられる。これで勃起できるのだろうか。そんな当たり前の疑問を並べた私に対し、馬場はこう言った。
「どんな過酷な環境でも、醜いおばさんが出てきても、最後までやるのが礼儀だ」
衝撃を受け、クラクラし、自分を恥じた。安くない金銭を払い、肉体的精神的な苦痛に耐えながらも、韓国エステに通い続ける馬場の姿は、生涯に渡って苦しい修行をつむ求道者のようで、神々しいものさえ感じた。この衝撃が韓国エステと登山の融合を試みるきっかけとなり、馬場と共に韓国エステティッククライミングを模索していくことになったのだ。韓国エステとの融合というのは、辛い思いをしてでも必ずやり遂げるという精神の問題ではなく、文字通り物理的な融合を果たしたいといもので、抽象的な芸術表現にはしたくなかった。当時の未熟な私には明確な回答は思いつかなかったが、いつか必ずやってやる。そういう強い思いがあった。
しかし、そんな求道者・馬場に変化が起きた。2010年あたりから韓国エステへ通う頻度が下がり、2012年にはイメクラや日本人嬢のリラクゼーションサロンに通い出した。さらに、ネットで好みの嬢を検索し予約までするようになったのだ。私はショックを受け、馬場を問い詰めた。
「どうしたんですか、あのストイックな馬場さんは何処にいったのですか。デリヘルとかイメクラとかチャラ過ぎるでしょ」馬場はこう答えた。
「いや、普通に若くて可愛い女の子にヌイてもらうほうがいいわ、こんないい店が他にあるって知らなかった」

違法な売春行為が行われる韓国エステは摘発の対象となる。摘発とデリヘルブームが重なる2005年をピークに、韓国エステは減少を続けている。性サービス嬢は出張エステや韓国デリヘルに流れ、店舗型の韓国エステは街から姿を消していった。

しかし、韓国エステが滅亡した訳ではない。かつてほどの繁栄はないが、しぶとく営業を続けている店舗は、日本にはまだ多く残されている。今は、それらを拾い集め、体感し、共有することが私に課せられた使命であると思っている。

韓国エステは眠らない